「 お薬師さんの手づくり市」に継続的に参加しているのですが、そこで2回ほど新聞記者さんとお話ししたことがあって…
でも、取材にはいたってません(笑)
なぜかというと、取材のコンセプトが『趣味を楽しんでいる人を取材する』らしくて。
私の場合、もう趣味の域では無くなっていると思うので…
「1円でもお金をもらったら、もう趣味じゃなくてプロですよ」
と話をして、判断していただた結果です。
「楽しんでいる」という点では合格なんでしょうが(苦笑)
タイトルですが、はんこを作る上で自分がこの2つの立場で制作してるなあとしみじみ思うのです。
自分の中にある、表現したいなと思うことをガツガツ彫っていく事に幸せを見出す自分と、
与えられたオーダーに対して、期待以上に応えるように彫っていく事に幸せを見出す自分と、
どっちも確かに自分だなあ、と。
レディメイドのはんこを作るときは、もうほぼ思いつき。
それがそう見えるかどうかはちょっとだけ二の次で、自分の彫りたいものをひたすら彫る。
どのジャンルでもそうだけれど、自分の感性に正直に表現したいという本能があると思うのですが、
そこにその人にあった手段を用いて(私の場合は主にはんこ)、表現していくのがアーティストの魂なんだと思うのです。
ある材料を見て、そこからひらめきを形にしてはんこにすることもあるけど、たまにはそういう制限があっても想像力の前にはわりと無力だったり。
オーダーのはんこの場合は、そのはんこを欲しいと思う方が期待するホニャラカが脳内にあって、それをうまく再現することに集中します。
予め原稿が与えられている場合は特に、です。出来る限り再現。
デザインからまるまるオーダーの場合もありますが、その時は自由度(自分らしい表現をしてもよい範疇)があるものの、所詮は制限の中で制作するのでそうフリーダムでもいられない。
それでも、他の方のところに持っていかないでわざわざ私のところに持ってきてくださったからには、いい意味での自分くささを気に入って期待してくださるのだろうから…とそこに集中していくのが職人の心意気なのでしょう。
どちらも、はんこを制作する上では大事なことだと思うのです。
自分で思い通りにならないとなったら、潔く最初から彫り直しをしてしまいます。
自分のところに置いておく時間よりも、おそらくもっともっと長い時間をお客さんのもとで過ごすんだから。
自分も愛せるけど、お客さんも愛してくださるものじゃないと。
そうなると「趣味で…」なんて甘っちょろい言い訳をしちゃならんと思うのです…
ストイックですねーと言われることもありますが、
それでなんとかご飯食べてる人間にとっては当然過ぎて空気みたいなものです。
と、ここまで書いてきて着地点が見えなくなってきたな…
結論→ 「自分、思った以上にどM」でOK?(そこなのか)
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